2015年4月22日水曜日

自分に自信が持てないあなたへ。 〜自己肯定感を高める5つのステップ〜

何をやるにしても自信がない人がいる。


どこか他人と比べて劣等感をもち、「失敗してはいけない」という意識から肩に力が入り、失敗してしまう。あるいは、劣等感から猛烈に自分に負荷をかけ、結局はつぶれてしまう人。自信がなくて失敗を避けるために、そもそもチャレンジすることから逃げてしまう人。


どうにかして自分に自信をつけたいと願っている。でも、どうしていいかわからない。そうした不安は時が経つと徐々に意識から遠ざかっていくが、ひょんなことでその不安は再来する。そして、その時の劣等感や自己不信はだんだんと大きくなっていく。だから、ますます萎縮していく。


何かの本で読んだけど、幸福と不幸は複利で増加する。きっと真実なんだろう。


それでは、自分に自信を持つためのステップを紹介していこう。



STEP1
日々精神的に生きづらさを感じながら、およそ自分のモノの見方の間違いに気づけていない段階


STEP2
ふと、もしかしたら自分のモノの見方が間違っているのではないか、と疑問を持つ段階


STEP3
生きづらさをかかえる自分と他の人は何が違うのかをあれこれと考えつつ、生き方に関するテクニックを試している段階

自己啓発本なんかを読んで、テクニックやスピリチュアルなんかにはまっていく段階。スピリチュアルはいいと思うんですが、根底を変えていくには少し浅いかな?というのが僕の意見です。


STEP4
生きづらさを解消していくためにはテクニックではなく、もっと内面の根本的なことを変えなければいけないのではないか、と疑問を抱く段階


STEP5
深く自分の内面やモノの見方の特徴をふりかえり、それを修正することに挑戦をしている段階


いかがだったでしょうか。あなたは今どのステップにいましたか?

この5つのステップをみると、一足飛びに自信をつけることは非常に難しいことがわかっていただけたのではないでしょうか。


いろいろな文献や悩みを抱えた人に話を聞く限り、こうした劣等感は根が深いことが多いです。自分に自信がないということは、「自分という存在がまわりから受け入れらえてない」とも捉えられます。それだけのトラウマを抱えているとも言えるでしょう。


自分に自信をつけ、自己実現できる人になりたければ、これまでの思考を変えていかないといけません。現実を直視して、逃げることなく、ありのままの自分を見つめて、認めていくしかない。


自分に自信が持てないあなたが、まずやるべきは、あなたがあなたのことを認めてあげるということ。そして、辛い道のりではありますが、自分自身と向き合って、幸せを呼び込むモノの見方を育むこと。


大丈夫。


あなたは、そんな苦しい状況でも生き抜いてきました。
それでも、ここまでこれたことに自信を持ってください。


僕とは違って、様々な逆境をくぐり抜けてきた強者なのですから。





思想を体現する。

2015年4月1日水曜日

自分の気持ちがわからない人の心理 ~自分の心の声に耳を傾ける~

自分の気持ちを表現できない人がいる。

深い話ができない、心のやりとりができない。本当にわかりあえる人がいない。

なぜ、そうなってしまうのか。

端的に言えば、それは「自分がない人」たち。自分の気持ちを表現できないのではなく、そもそも自分というものがない。それは「自分=他者」だから。

人の気持ちをくみ取ることが自分の原動力になってしまうから、自分を形成することができない。自分が育ってこない。だから、何かの議題に対する意見は言えても、自分の心や感情を表現することはできない。なぜなら、「自分=他者」だから。

「自分」はいつも二の次。「他者」が最初。自分の気持ちを押し殺して、「他者」に貢献しよう、好かれようとするから、どんどん「自分」は忘れ去られていく。気づいた時には、自分がどこにいるのか、本当の自分は何者か、何をやりたくて何をやりたくないのかがわからなくなっている。

自分の気持ちがわからない人とは、生きづらさを抱えている人たちのことなのだ。



■自分の気持ちがわからなくなる背景には「自信のなさ」が存在する


自分の気持ちがわからなくなる、表現できない、口にすることが憚られる人は自分に自信がない人が多い。「こんなこと言ったら馬鹿にされるのではないか、嫌われるのではないか」、「こんなことしたら怒られるのではないか」といった心の声が、本人が認識していてもいなくても、心の底で渦巻いている。

要は自分がどこか嫌いなのだ。

どこかで自分を責め、自分を憎み、敵意を抱いている。

こんな自分だから、誰かに尽くすことで認めてもらいたいというのが彼らの原動力になっている。八方美人という言葉があるが、それは彼らのことを指している。人にいい顔をすることで、気に入られようとする。本心は見せずに、相手にあわせた行動をする。



■自信のない人は、「いい人」に見えて、本当は敵意を抱えている


自分を成りたたせるために、他者に尽くすということは非常にエネルギーを要する。いつも他人の顔色をうかがい、アンテナを高く張りつめている。結婚していても、そういう人には心の休まる時間がない。だから、疲れやすい。でも、誰かに何かをしていなくては不安で、エネルギーが尽きるまでにせっせと行動している。

そういう人はたいてい「いい人」だ。配慮があって、優しい、みんなから好かれている。でも、心の中には敵意と憎しみが渦巻いている。

彼らは「いい人」を「演じる」ことで、他者からの見返りを求めてる。称賛されたり、褒められたり、いつも自分を認めてもらいたいという欲求に駆られている。称賛されていたり、褒められていたりしているうちは彼らの心は満たされるが、それがなくなると途端に欲求不満になる。「わたしはこんなに頑張っているのに」、「わたしは自分をここまで犠牲しているのになんでわかってくれないの」といった心の声が湧き出て、それは敵意や憎しみに変わっていくのだ。



■それでも敵意や憎しみは押し殺され、声になることはない


自分を押し殺すというのは日本人の美徳のように感じられるかもしれないが、それは精神衛生上、あるいは心的発達という観点からすれば害悪でしかない。

押し殺した自分の感情は敵意や憎しみに変わる。それでも、相手に嫌われたくない、認められたいという欲求が強くて、敵意や憎しみさえも声に出すことができない人もいる。だから、その心の声は内側に向く。自分を責めるからますます自分を責める、ますます自信がなくなる、こうしたスパイラルから抜け出せなくなる。

感情はカタルシス。自浄作用だ。吐き出さなければ、自分が綺麗になることはない。悪意や憎悪にまみれていってしまう。

「いい人」の多くは、外見からはわからないが、心の底で敵意や憎悪に満ちているのだ。



■「いい人」を演じているうちは、心から好かれることもない


「いい人」は一見、誰からも好かれる人のようにみられることが多い。それは事実だろう。しかし、質的にみれば表面的に好かれているだけだ。「いい人」は自分を見せない。だから、本当の意味での人間的な魅力を感じることができない。

むしろ、そういう人たちは騙されてしまうことも多い。相手に認められようとするあまり、相手の善悪を判断する能力が養われていない。甘い言葉を言ってくれる人は「大好き」となってしまうから、簡単に騙されてしまう。逆に、彼らを思って厳しいことを言ってくれる人のことは「こんなに頑張っている自分を批判してくる嫌な奴」となってしまう。だから、一向に自分が成長していくことはない。

彼らを取り巻いているのは、表面的でうわべだけの付き合いだ。でも、取り巻きが多いことで癒されているような気になっている。パーティーや乱痴気騒ぎの好きな人はこうして自分を慰めている人が多い。でも、そこに心のやりとりはいっさいない。



■心のやり取りができないから親密な関係にある人が離れていく


友人や同僚との関係性においては、表面的でうわべだけの付き合いでも許されるかもしれないが、恋人やパートナーとなるとそうはいかない。一緒に生活をともにしていこうとすれば、ライフイベントのどこかで重要な意思決定をしていく必要が必ずでてくる。

そうした時に彼らは自分の意見を言うことができない。お互いの意見を言って妥協するという建設的な人間関係を構築するプロセスを踏むこともできないし、もう一方が何かしらの意思決定をすることになる。

そこで何が起こるか。彼らは心の底で「不満」を抱いてる。意見を言わないと決めたのは自分なのに、相手が決めた意思決定や方向性に心から納得できないのである。そうした不満を隠し通せる人もいれば、隠しきれない人もいる。

一番やっかいなのは、隠しきれない人が不満を行動であらわしたりすることた。急に態度を硬化させる相手が何を考えていて、なぜ、そうした態度を取るのかもわからない。聞いても彼らの口からそれが表現されることはない。何となく相手にとってみれば、「心のやり取りができない人」、「急に態度を硬化させるヒステリー」のように見えてしまう。

結局は、最初は何とか理解しようと思っていた「心ある」人が彼らから去っていく。



■心の負債は取り返しのつかない事態を招く


心の負債は徐々に彼らの心をむしばみ、人間関係をむしばみ、なぜかわからないけど物事がうまく進まなくなってしまう。こうなると何が何だか余計にわからなくなってしまう。「自分はこんなに頑張っているのに」という気持ちも果てには弱くなり、未来に希望が見いだせなくなるのだ。

この先にどういう事態が待っているのかは、言及はしないでおこう。皆さんもうすうす感じていることだろう。

心の負債はすべてを八方ふさがりに追い込んでしまう爆弾であることを理解してほしい。そして、抱えた負債は複利で大きなり、気づいた時には返済不能となってしまう。




■そのままの自分を認めてあげあること


これまでの研究によると、彼らは「無償の愛」を受けたことがないなどと言われる。ありのままの彼らを愛してくれる人がいなかったのだ。我慢をすることでしか愛されなかった過去がある。

そして、この呪縛から抜け出すためには、自分自身がまず自分を認めてあげることだ。自分の心を聞いてあげること。そのままの自分を自分が好きになってあげること。

大人になって「無償の愛」を求めることはほとんど不可能だ。可能だとすれば、心あるパートナーに頼るしかいないだろう。だからこそ、自分が自分をほめてあげる、認めてあげる、好きになってあげることが必要なのだ。

「こんなに生きづらい人生をよく頑張って生きてきたね」、「今日も一日お疲れ様!よく頑張ったね」、と自分に声をかけてほしい。



■少しずつでも心の声を発信していく


いきなり自分の気持ちを他者に言えないという人は、「出さない手紙」を書くことをおススメしている。日記でもいいだろう。まずは、自分の心の声を素直に書いて、自分自身を再発見する必要性がある。自分を再発見することができなければ、いつまでたっても「自分=他者」になってしまうのだから。

注意してもらいたいのは、自分が感じたくない感情も出てくるかもしれない。その時に、それをありのまま認めてほしいということだ。「いい人」は敵意や憎しみといった心の負債が渦巻いている、それでもそれが自分であるということを認め、それを自分が受け止めてあげること。そこからがスタートになる。

そして、自分を再発見できら、自分の気持ちや感情を少しずつ発信していく。怖がることはない、もし、自分の気持ちを発信して聞いてくれない、あるいは、馬鹿にするような人がいたら、そういう人たちはもともとつき合う必要のない人たちだからだ。自分の心の声に耳を傾けてくれる人と付き合うこと。時に、耳に痛いことを言ってくれる人を信頼すること。

そうすることで必ず道は開ける。




自分を嫌いになる人は、他者も嫌いである。

自分を許せない人は、他者も許せない。

自分を愛せない人は、誰も愛せない。


まずは、自分が自分を認め、好きになってあげること。





思想を体現する。

人生を決めているもの。住宅と街並みとぼくの視線から考える人生論。

  家づくりを検討しはじめて約2ヶ月。あれだけ回避していたローンのリスクを受け入れて、家を建てることに決めた。日本の一戸建ての寿命が30年のところ、90年もつ家を建てることを知ったのが大きなきっかけだった。90年もてば3歳の息子も死ぬまで住むことができるだろう。それならローンを組...