2015年3月19日木曜日

信念とバカのあいだ。愛着障害を超えて。

強すぎる信念をもつことは、一方で周りから見るとバカに思えるということ。

誰かしら信じていることは持っていると思うのだけど、これに「念」がはいるとまた一段と力は強まります。




僕の信念は、「人は変わることができる」ということです。どんなに辛い環境でも、どんなに年をとっても、変わる必要さえなくても、どんなに重い罪を犯しても、「環境」が変われば人は変わっていけるということ。

そんな僕にとっては明るい信念、希望でも、人は変わらない、変わりきれない、変えようと思うと反発する、という人もいる。そして、どうしようもない相手を切り捨てていく。

これって本当に僕は悲しいと思うんですよ。

人の行動や心理ってゆーのは、もう幼少期に確立されてしまう。最近は、川崎や名古屋での殺人で「愛着障害」が取り上げられました。

生まれた環境によって、人が高い自信を持てるかどうかは左右されてしまうんですから。

愛着障害は、子供の頃、伸び伸びと愛されて育つことができなかった人たちです。親がいなくてさみしい想いをしたり、虐待を受けたり、逆に過干渉な親に育てられてしまった人たちです。

川崎、名古屋の加害者は実はもともとは「愛されなかった」という被害者だったんですね。悪いことをしてしまう人はたいていの場合、根底に自己無価値感を抱えてる。それは、「よく愛されなかった」という愛情飢餓感からきている。本当は1番愛に飢えているさみしい人なんです。

こういう背景に僕は思いを馳せる。

だから僕はどんなに人が怖くても、人に裏切られても、言うことを聞かなくても、話さえ理解してもらえなくても、きっと人を信じて支援していくのでしょう。

きっと、人間不信の人からしたら僕はバカでしょう。なぜ、自分が傷つくことも覚悟でダメ人間に寄り添うのか、と。

でもね、人を信じれなかったら何を信じるんですか?

モノ、技術、情報?

全部感じ取るのはあなた自身。

人間ですよ。



信念とバカのあいだ。


愛着障害を超えていく。



思想を体現する。

人生を決めているもの。住宅と街並みとぼくの視線から考える人生論。

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