2013年9月10日火曜日

教育研修は学ぶ場所ではない??

皆さんは教育研修で本当に学べた!と思えることは今まであるでしょうか?

創造性開発の研修会などでは、よく凝り固まった頭の体操を行うという意味で、「箍を外しましょう」というようなことをメッセージさせていただくことがあります。「箍」とは「たが」と読み、桶の周りに巻かれている金属板のことを言います。

最近思うのは、創造性開発の研修ではなく一般的なテーマの研修さえも、というか教育研修そのものが「箍外し」なのではないか、と思うようになりました。そもそも、その場で学習できることがどれだけあるのかという問題提起です。














【研修の前にやるべきことは出来ているか】
小生が普段お客様とお話をしている中で、その問題ってコンサルに依頼する必要性ってあるんだろうか?そんなことを思うケースが結構あります。会社内でやるのに時間がかかるから、「業者」を使ってやろうというようなパターンですね。社内でも出来るのにも関わらず、、、です。(汗)たいてい、こういった研修は評判が悪い。(笑)

社内でやれるのにもかかわらず外注するケースにおいては、現実にその課題は現場に横たわっていたとしても、何とか研修で解決しよう、解決できるはずだ!などという一種のユートピアが存在していると思います。

研修は魔法の杖ではありません。(笑)

ここに今回このBlogで取り上げるテーマの問題があると思います。

【やりきって、まだ解決できない問題に効く教育研修】
PDCA。聞き慣れた言葉ですが、Wikipediaには「事業活動における生産管理品質管理などの管理業務を円滑に進める手法の一つ」と書かれておりますが、この一連のサイクルを回しきってもまだ解決できない課題が存在する時に、教育研修が役立つのではないかと思います。

小生も、PDCAという聞き慣れた言葉の徹底が非常に難しいことを身に沁みて感じています。簡単なようで愚直に実効できない。けれども、外部にお金を払ってまでやらせることでもない。こういったことを必死に組織でサイクルを回しきった後に存在する課題を解決するために箍外しのための教育研修があるのではないかと思うのです。

なぜなら、課題が解決されない理由は、これまでの仮説(Plan)自体が間違っているからです。こうなると、新しい知識や内省を繰り返して、マーケットや自社製品に対する「認識」そのものを変える必要性があるということを意味するからです。

【愚直なまでの遂行力と箍外しのための機会が鍵】
会社でやるべきことはそんなに難しいことではないですよね?誰もが自分が社会で活躍できるのだろうか?と不安を抱えて、新社会人になって仕事をする訳ですが、もう本当に頭の中が??となって、慌てふためくことはほとんどなかったはずです。

やるべきことをやる、それでもダメだったら前提をも疑う(箍外し)、この新たなサイクル回すことで、OJTとOff-JTを混ぜ合わせた能力開発ができるのではないでしょうか?

いかがでしたか?

教育研修そのものを否定することは小生自身非常に勇気がいりましたが、本質を見つめれば本当に学習という側面での効果は少ないのかもしれません。

小生も日々箍外し、これまでの固定観念に捕われず、日々、生まれ変わっていきたいと思います。

それでは!

人生を決めているもの。住宅と街並みとぼくの視線から考える人生論。

  家づくりを検討しはじめて約2ヶ月。あれだけ回避していたローンのリスクを受け入れて、家を建てることに決めた。日本の一戸建ての寿命が30年のところ、90年もつ家を建てることを知ったのが大きなきっかけだった。90年もてば3歳の息子も死ぬまで住むことができるだろう。それならローンを組...