マネジメントに意志決定とか判断は避けては通れない。逆にいうと、それを避けていてはマネジメントにはなれない。このことは、部下の相談に乗るときによく脳裏を過ぎる。
相談をするということは自分に意志決定や判断の軸がないか、軸を持ちつつもその軸自身が不安が残ることを意味する。そういう意味で、マネジメントになるには意志決定の軸を明確にもったり、軸自体のバリエーションを増やしておくことが必要だ。
では、どのような軸があればよいのか。
ひとつめは、投資対効果の視点だ。
投入したコストに対してどれくらい利益が上がるかを検討することは意志決定のひとつの軸となりうる。たとえば、サービスを改善するとき、その改善はコストに見合った売上や利益が上がるかどうかを考える。逆にいえば、売上や利益につながらないサービス改善は、意味がないとまでは言わないが、生産性という観点ではあり得ない判断となる。経験上、この投資対効果の軸は欠かせない。
では、すべての意志決定の判断軸が投資対効果によってなされるかといえばそんなことはない。ぼく自身、その他に大切にしている軸がある。
それは矜恃とか信念とか言われるものだ。あるいは、譲れないものと言っていいかもしれない。それは、投資対効果と違って非合理的なものでもある。投資対効果をすこし下げてでも、大切にしたいものを守る意志決定もありうるということだ。たとえば、ぼくが携わっている教育や組織開発のサービスについて、自己実現を阻害するようなサービスにはしたくない。それが、投資対効果をいくらか下げるものだったとしても。
マネジメントには避けては通れない意志決定。そして、意思決定の軸となる投資対効果および矜恃、信念。ぼくの意志決定の軸が正しいとか正しいとかはあまり問題ではない。それぞれが妥当と思われる軸を持つことが重要ではないかと思う。
人生はなるべくしてなるように展開している。