苦悩に満ちた時間に今ひとつの答えを出そうとしています。
人生はあまりにも気まぐれなものです。嫌がらせとしか思えない試練がどこからともなく突然音もたてずにやってきます。心はむしばまれ、身体はやせ細り、根性だけではもう立つことさえもままならない、そうした経験が誰にでもいちどはあるはずです。
苦悩や恐れからわたしたちは逃れることはできません。
けれども「もうこれ以上はムリ。」、「もうどうにでもなれ。」、限界のギリギリまで悩み、そこに意味をみいだすことができたなら、これまで見えていなかったこと、つまり、愛、人間関係、本当の自分、怒り、生きる意味が見えてきます。
人生はわたしたちのとる態度にかかっています。苦悩さえもそこに意味をみいだすことができるなら、わたしたちはそこから学ぶことができ、人生を豊かにすることができます。
人生はわたしたちのとる態度にかかっています。苦悩さえもそこに意味をみいだすことができるなら、わたしたちはそこから学ぶことができ、人生を豊かにすることができます。
こうしたことをおこなっていくことは、本当にむずかしいことです。たとえ、心のなかでそう思っていたとしても、何かがわたしたちの邪魔をします。
それでも、わたしたちはチャレンジしていくかどうかを選ぶことができます。どう生きていくのか、それはわたしたちの選択にかかっているのです。
わたしは、2015年おおきな喪失を経験しました。この4ヶ月苦悩に満ち、精神安定もままならず、日々を耐えしのんできました。そのなかで読んできた30冊にものぼる心理学の書籍は、それでも、わたしたちは、自分次第で幸福を選びとることができることを教えてくれます。
わたしは、2015年おおきな喪失を経験しました。この4ヶ月苦悩に満ち、精神安定もままならず、日々を耐えしのんできました。そのなかで読んできた30冊にものぼる心理学の書籍は、それでも、わたしたちは、自分次第で幸福を選びとることができることを教えてくれます。
今日から書いていくBlogは、エリザベス・キューブラー・ロス著の『ライフ・レッスン』をなぞりながら書いていきます。エリザベス・キューブラー・ロス氏はスイス・チューリッヒ出身の精神科医で、死にゆく人の心のプロセス(経過)を説いた名著『死ぬ瞬間』の著者として知られる人物です。死にゆく人が人生の終末に見いだしたもの、それを今を生きている人への教訓として書かれたのが『ライフ・レッスン』です。
この4ヶ月にわたるわたし自身の人生のレッスンを「ラスト・レッスン」として書いていくつもりです。わたしがこの4ヶ月あまりで体験したこと、学んだことの集大成であり、わたし自身のこれからの肥やしにすることが目的です。
願わくば、わたしの苦悩や学びが、誰かの生きる勇気となり、励ましとなり、あかるい未来を切り拓いていくためのひとつのともしびになることができれば嬉しいです。
人生のレッスンとは、みずからの卑小性にはたらきかけ、否定性をとりのぞいて、自己のなかにも他者のなかにもある最良のものをみいだす作業にかかわるものだ。人生の暴風にも似たそのレッスンは、わたしたちを本来のわたしたちに立ちかえらせてくれる。わたしたちはたがいに癒しあい、また自己を癒すために地上に生まれてきた。それは身体症状の回復という意味での癒しではなく、はるかに深いレベルでの癒し、精神の、そしてたましいの癒しである。(8頁)
人生の終末に「ああ、わたしは生きた!」というために、わたしたちが今できることをこれから考えていきたいと思います。
絶望の淵からみいだせるもの。 「ほんものの自己」のレッスン(1)
わたしがわたしらしくいること。 「ほんものの自己」のレッスン(2)
「いい人」はまやかしであり、にせもの。 「ほんものの自己」のレッスン(3)