2015年6月2日火曜日

あなたはあなた。わたしはわたし。「ほんものの自己」のレッスン(4)

前回は、いかにして「役割」が「ほんもののわたし」を隠しているか、そして、「ありのままのわたし」に価値があるということについて書きました。

今回は、まず、実際に「ほんもののわたしたち」を隠している「役割」をとりさっていくためのヒントから紹介していきたいとおもいます。

・その役割は退屈な仕事だったと気づく。「みんなの幸福の責任を感じなくてもいいんだから、いまはとても気が楽だ」
・自分は人をあざむいていたと気づく。「いい人を演じて、好感をもたせるために、みんなをあやつっていた」
・ありのままでいても、人に好かれる自分であることに気づく。
・自分の行動が恐れから生じていたことに気づく。(善人ではないという恐れ、天国には行けないという恐れ、人に好かれないという恐れ)
・報酬を得るために役割を利用していたと気づく。「だれからも愛され、尊敬される人になろうとしていたが、自分はみんなとおなじ、ただの人間だ」
・他人は大いに悩むがいい、それが自己発見への道だ、そうおもっていたと気づく。
・自分の優位性を感じたいために他人の弱点を強調していたことに気づく。
・他人の「破綻」を強調することによって自分の問題を回避していたことに気づく。(33-34頁)

なにか気づくことはありましたか?

個人的には、うえから3つはけっこうおおくの人に何がしかの気づきがあるのではないかとおもいます。それだけに、わたしたちは自分を裏切っているということなのです。すくなくとも、わたしたちだけは「ありのままのわたしたち」を愛してあげたいものです。

もしだれもみていなかったら、自分はなにをするだろうかと自問してもいい。結果をかんがえずに、したいことがなんでもできるとしたらどうだろう?その問いにたいする答えのなかに、真の自己にかんする多くのものがふくまれている。(39頁)

わたしは上記の質問をしてみたときに、さまざまな隠された自己が見えてきました。思った以上に、わたしは怠惰な人間であること。仕事上で、もっとやりたいことがあること。愛する人の近くにもっといたいとおもっていること。などなど。

いづれにしても、わたしたちは自分を偽って生きているのです。


真の自己を発見し、真の自己でありつづけること。ほんとうはなにがしたいのか、なにがしたくないのかをみわけること。その作業は自分自身の経験にゆだねることによっておこなわれる。そのためには、あらゆることはしなければならない。職業の種類から身につける服装まで、よろこびややすらぎが得られるかどうかは、その判断にかかっているからだ。他人の目を意識してなにか価値ある行為をしても、それは自分にとっての価値ある行為にはならない。にもかかわらず、わたしたちの多くはしたいことをするよりもするべきことをしながら生きている。(38-39頁)
真の自己をみつけようとする人のまえにあらわれるのは、そのために必要な作業、つまり、学ぶべきレッスンだ。内部の存在と外部の存在がひとつになったとき、人はもはや自己を隠すことも、恐れることも、守ることもなくなる。周囲の状況を超越したなにものかとして、自己をみるようになる。(42頁)
あなたの本質はもっとも純粋な愛であり、壮大ともいえる完全性である。あなたは自己を癒し、自己がだれであったのかをおもいだすために、地上に生まれてきた。おもいだすべきあなたの本質こそが、闇夜を行くときのみちびきの光である。 (42頁)

 今回で、「ほんものの自己のレッスン」は終わりです。次回からは「愛のレッスン」にはいっていきます。

そして、この「ほんものの自己のレッスン」を学ばなければ、わたしたちは「愛のレッスン」に移行することはできません。

なぜなら、わたしがわたしを偽っているのに、だれかを愛することができるでしょうか。わたしたちがわたしたちらしく毎日を生きることが、結果、充実した人生をおくることができるのです。それは、愛でも、仕事でも、家族でも、すべて共通であるとおもいます。

最後に、わたしが最近もっとも共感している「ゲシュタルトの祈り」を紹介して締めくくりたいとおもいます。



わたしはわたしのことをして、あなたはあなたのことをする。  

わたしは、あなたの期待に応えるために、この世にいるのでは、ない。

 
あなたも、わたしの期待に応えるために、この世にいるのでは、ない。  

あなたはあなた、わたしはわたし。  

もし偶然にお互いが出会うことがあれば、それは素晴らしいこと。  

けれどもし出会うことがなければ、それはそれで、いたしかたがないこと。

─────フレデリック・パールズ



『ライフ・レッスン』〜人生に悩むすべての人へ〜

絶望の淵からみいだせるもの。 「ほんものの自己」のレッスン(1)

わたしがわたしらしくいること。 「ほんものの自己」のレッスン(2)

「いい人」はまやかしであり、にせもの。 「ほんものの自己」のレッスン(3)

人生を決めているもの。住宅と街並みとぼくの視線から考える人生論。

  家づくりを検討しはじめて約2ヶ月。あれだけ回避していたローンのリスクを受け入れて、家を建てることに決めた。日本の一戸建ての寿命が30年のところ、90年もつ家を建てることを知ったのが大きなきっかけだった。90年もてば3歳の息子も死ぬまで住むことができるだろう。それならローンを組...